平成23年度12月 第4回定例会一般質問(12月16日)
【東日本大震災を教訓とした避難所運営について】
1番目の質問は「東日本大震災を教訓とした避難所運営」についてであります。
さきにもお話をさせていただきましたとおり、3・11の震災においては多くの方がお亡くなりになられました。この場から、改めてお悔やみを申し上げます。そして、依然として多くの方々がとても苦しい生活を余儀なくされております。引き続き支援の輪を広げていきたいとも思っております。私も10回ほど現地に炊き出しなどの支援に行かせていただきました。そこで教えていただいたことは、避難所の運営の難しさであります。南三陸町というまちでは、明治三陸津波や昭和三陸津波、そしてチリ地震による津波で多くの被害に遭われた経験から、津波を想定した避難訓練を頻繁にやられていたそうです。また、年に2回は自衛隊などを交えた大規模避難訓練もされていたそうです。
しかし、人口1万7666人のまちの被害は、死者566名、行方不明者310名と大きなものでありました。住宅などの建物の被害は3308棟あり、多くの方々が生活する場をなくされました。そして、長い避難所生活が始まったのであります。現地の方のお話で、一番大変だったことは、その避難所の運営、そして避難所の統率をとっていくことだと言っておられました。この海老名で災害が起きたときには、津波の被害はないにせよ、最悪の場合は自宅に住めなくなる方が多く出る可能性も考えられます。そこで、避難所の運営と訓練について幾つかご質問をさせていただきます。
人口約12万8000人の海老名市において、震災前の避難所の運営の仕方はどのように考えられていたか。また、3・11の震災を受けて防災計画の見直しをされているとお聞きしておりますが、どのような見直しをされ、どのように避難所の運営をされていこうと考えているのか、お聞かせください。そして、訓練についてもお伺いをいたします。さきにお話ししたとおり、日ごろからの訓練が非常時には生かされるというお話をお聞きしております。この海老名市では、今までどのような訓練をされてきたのか、また3・11以降、訓練においてもどのように見直しをされ、どのような訓練を今後行っていこうとされているのか、お聞かせください。
◎市長(内野優)
おはようございます。久保田英賢議員のご質問にお答えいたします。
1番目の「東日本大震災を教訓とした避難所運営」についてでございます。
市では、東日本大震災の発生を受け、被災地への人的、物的支援活動等、多くの取り組みを実施してまいりました。この中で、宮城県石巻市へ避難所支援に派遣した職員から、次のような報告を受けました。1つ目といたしましては、自治会と市職員が良好な関係にある避難所は運営が円滑に行われており、避難後の運営状況は避難所間で格差が生じている。2つ目といたしましては、指定した避難所以外の施設が避難所となり、そこにも職員配置の必要性がある。3つ目といたしましては、発災後数日間は、避難所に配置する職員の自己判断で避難所運営を行うことができる権限が必要となるなどの報告がございました。その他、宮城県白石市防災課職員からの体験談によりますと、実際に災害が起きたときは、避難所対策が最優先されることになるとのことでございました。
このような報告等を通じて得られた教訓をもとに、市では、地域防災計画の見直しよりも優先的に、当面の基本対策として、①避難者受け入れ体制の強化、②市民協働による防災対策の強化、③災害情報収集、災害情報発信の強化、④災害時における広域連携の強化の4項目に取り組んでおります。このうち避難者受け入れ体制の強化といたしましては、これまではすべての避難所に市の職員を配置しておりましたが、避難所開設は迅速な対応が求められることなどから、今後は、小中学校には教職員を配置し、その他の避難所には市職員を配置してまいります。また、避難所担当職員に対しましては、避難所運営方法や避難所に備蓄されております備蓄品の使用方法等の研修を実施してまいります。
◎市長室長(清水昭) 1番目の「東日本大震災を教訓とした避難所運営」の詳細についてでございます。避難所の開設につきましては、横浜地方気象台で発表する海老名観測点の震度が震度5弱以上であるとき、かつ市内に被害が発生しているとき、または発生するおそれがあるときは、災害対策本部長であります市長の指示によりまして避難所を開設いたしますが、夜間や休日に地震が発生した場合は、避難所担当職員は自主的に避難所に向かい、避難所の開設を行うこととされてございます。
次に、開設後の運営につきましては、自治会による自主防災組織等、施設管理者により避難所運営委員会を設置し、避難された住民による運営を行います。先ほど市長が答弁いたしましたとおり、避難所担当職員につきましては、東日本大震災以前は避難所には市の職員を配置しておりました。東日本大震災以後は体制を見直し、小中学校の教員は避難してくる子どもや保護者などと日ごろから顔の見える関係があり、避難所運営が円滑になること、また、小中学校の施設に精通していること、さらに、避難者に安心を与えられることなどから、小中学校の避難所には教職員を配置することといたしました。コミュニティセンター、文化センター、北部公園体育館及び県立高校には、市職員を配置いたします。各避難所に配置いたします職員は、発災直後は避難所の判断で行動する必要があることから、避難所担当職員の判断で運営ができる職員配置をいたします。
次に、訓練につきましては、避難所担当職員は、市総合防災訓練や毎年9月の防災週間に行う大規模地震関連情報伝達訓練に参加しております。大規模地震関連情報伝達訓練は、各避難所に自治会と避難所担当職員が集まり、避難所開設や避難状況などを防災行政無線を使用し災害対策本部へ報告する通信訓練でございます。また、地域自主防災訓練には平成17年度から20自治会の訓練に参加しております。さらに、避難所担当職員は、防災備蓄倉庫や備蓄資機材の点検、備蓄物品の確認を2カ月に1回実施しております。今後は毎年行われる総合防災訓練などを通じて、平素から市民の方と連携を深めて、災害時の避難所の円滑な運営ができるよう努めてまいります。
◆(久保田英賢 議員)
1番目の「東日本大震災を教訓とした避難所運営」についての再質問をさせていただきます。
私が被災地に行って感じた中でのご質問を何点かさせていただきますが、東松島に宮戸地区という地区がありました。人口が197人のまちで、そこでは、死亡者、行方不明者が10名だったそうです。なぜそんな状態だったか。そのときは防災無線の防災マイクが壊れていて使えず、行政からの津波に対する警報が一切聞こえなかったという状態だったにもかかわらず、それだけ少ない行方不明者、死亡者であったというふうに聞いております。また逆に、そのすぐ隣の野蒜地区というところでは4500人ぐらいいる人口の中で、約1000人の方が死亡、行方不明者となってしまったということです。現地の人になぜこんなに違いがあるのですかとお話を聞いたところ、やはり日ごろからの人間関係がしっかりとできているその地域では、このような状況であったということをお聞きしました。日ごろから顔の見える関係があったからこそ、防災無線が使えなくても、だれがどこにいて、どうしているということがわかり、互いに声をかけ合って避難所に逃げたそうです。それも、米とみそと灯油を持って逃げろと。そんな声をかけたおかげで、その宮戸地区の皆さんは震災の翌日からもう3食食べられ、そして、灯油もあったということで暖もとれたということでありました。もちろん海老名が宮戸のまちと一緒とは言いませんが、しかし、宮戸の教訓を生かすことはできると思います。それは、日ごろからの顔の見える関係をつくっていくことだと思います。
今やらなくてはならないことというのは、防災の日に市内全域で訓練を行うことだけではなくて、例えば防災備蓄倉庫のチェックを2カ月に1度やられているのであれば、その機会に避難所ごと、そこに避難されるであろうと思われるその人たちに対して、例えばその避難所に置いてある期限が短い食料を一緒に食べてみるとか、近隣の方々に実際にその倉庫の中を見ていただいて、触れていただき、参加していく機会をふやしていくことが大切だと思います。例えば今は学校の避難所の防災倉庫に何が入っているのか、学校の先生たちは皆さん知っているでしょうか。そして、飲料水兼貯水槽のあけ方を校長先生を初め学校の先生は知っているでしょうか。今やらなければいけないことは、日ごろから身近なこと、できることからやっていくということだと思っております。市長のお考えをお聞かせいただければと思います。
◎市長(内野優)
私どもなぜ小中学校は教職員の先生方が避難所の運営に当たるかというと、まず、昼間の段階で災害が起きたときには、子どもたちは震度5弱ですと学校に待機になります。なぜかというと、今回も駅滞留者で鉄道がとまりました。保護者の方が東京や横浜から帰ってこられない。これは保育園もそうでありますけれども、そうしますと、子どもたちが残っているわけですから、当然学校に残っていただく。そして、その部分では帰れない子どもたちがどうするかと。また、震度が大きい場合は相当被害がありますから、被害状況を把握した上で、あるいは保護者の方が安否確認のために子どもたちを引き取りに来るといった状況になろうと思います。しかしながら、夜間あるいは休みの段階ではどうなるのか、これが私どもの1つの課題であります。市の職員も市内居住者は780名ほどいますけれども、半分以下になっております。そうしますと、被災者の関係も出てきます。あるいは道路の関係もあろうと。そうしますと、できるだけ私どもの市の職員、小中学校の先生方が協力して避難所を運営するというのが前提であります。そういったときに、今、久保田議員がおっしゃったとおり、まず、備蓄されている倉庫に何があるか、あるいは飲料水のタンクが学校にあるわけですけれども、それをどうやってやるのか。この部分は今後の本当の訓練が必要だと思います。
私どもそういった面では、避難所の運営というのは、まずスムーズに避難所に行っていただいて、学校は学校で、いわゆるどこのパターンでも体育館しか避難所はございません。そうしますと、プライバシーや、あるいは男女の関係や、高齢者や、小さな赤ちゃんがいらっしゃる。いろいろな方がいらっしゃいますので、学校の教室を利用した避難所運営は絶対必要になってきます。そういった面では、学校の先生が一番適していると思っています。そうしますと、やはり今やることは、だれが最初に学校に行って、学校の中をどういった形で運営していくかのマニュアルがまず必要だと思います。私どもコミセンに避難所というのはわかっています。だけれども、コミセンの避難所をどうやって、1階、2階、3階あった場合は、どこの部分をどういった形で使うかというマニュアルがございません。いわゆる避難所としてやっていく、あそこなのだということは今までもありました。こういった面では具体的にマニュアルを今後、今言われた課題を含めてやっていく。それとともに、やっぱり避難所運営は職員であるし、学校の先生がやりますけれども、避難者がそのまま避難者として何もやらないということではないと思います。すべてに役割分担を持っていただいて、体が無事ならば、その中で皆さんと一緒に協働で避難所を運営していくマニュアルも必要ではないかなと思っています。そのためには、日常のどういった避難所の運営があるのかということも各地域の自主防災の訓練でやる必要もあるだろうと思っています。議員がご指摘のとおり、さまざまな具体的なことが挙がっております。これについても訓練を通じて行っていきたいと思っています。
以上でございます。
◆(久保田英賢 議員)
ありがとうございました。まさに日ごろからの顔の見える関係が大事だと思っておりますし、避難所運営委員会というお話もありました。義務、役割みたいな形で役職をつける避難所運営委員会ではなく、そこの避難所に自分が行くのだという自主的な人たちの集まりの避難所運営委員会ができることをぜひご要望させていただきます。